小暮香帆 ✕ 大友良英 往復書簡
本公演の制作期間に音楽担当の大友良英さんと交わした、2通ずつの文通。
個人的な“音楽”の体験から世界の平和まで、呼応しながら広がる対話の記録をお届けします。
小暮香帆 2026年1月6日
去年の夏、北海道での本番後に滞在をのばして山に数日籠りました。温泉の蒸気が「シューッ」と立ち昇り続ける緑豊かな場所で、とにかく毎日森を歩き、湖に浮かび、心身のインプットを自然に委ねてみることにしたんです。
現地に到着したときはすでに日が暮れそうで、森は暗くなり始めていたのですが、どうしても歩きたくなり森に入りました。遊歩道のはずがどんどん森は深くなり、雨が降ってきて道はぬかるみ、視界が遮られていって。険しくなっていく自然の本来の姿にゾクゾクしながら進み続けました。
すぐ引き返すことができなくなった地点で「あ、ちょっとやばいかも」とよぎった瞬間、突然背後から「ザワザワ」と音がして背筋が凍りました。
「あー……きっとクマだ。このまま襲われる。死ぬかも、ああ、食われる。ダメかも」と恐怖に駆られながらゆっくり振り返ると、笹の茂みの中に1頭の鹿がいました。こちらのことを全て見透かしているかのような、余裕ある佇まいでしばらく耳をパタパタさせて、森の中へ静かに消えていきました。
私は安堵からくる脱力の中でいかに自分が無力でちっぽけな生き物だろうと感じながら、同時に音や聴覚から「恐怖」を味わう、痛烈な“音楽体験”をしました。
気配のような、息のような、生命あるもの。そこからは、必ずなんらかの音が発されているのかもしれないと思いました。
初めて大友さんとセッションした時、少し似たような「恐怖」を感じたんです。けどその恐怖には「未知」や「安心」も含まれていて、今でもその感覚を覚えています。
大友さんは、どんな”音楽体験”をしてきましたか。
近年、大切な命をなくすことが重なりました。生まれたら死んでいくのは当たり前だけど、いくつかの死を受け入れることに、自分はある程度の時間が必要なようです。
生きているうちに、声なき声にも耳を澄ませて、踊りと戯れていたいものだなあ。
1通目はこんなところで区切りたいと思います。お返事、楽しみに待っています。
小暮


大友良英 2026年1月18日
歳のせいなのか、元々なのか、せっかく体験してきたことを忘れてしまうことが多くて、自分でも愕然とします。
わたしは一体今までどんな音楽体験をしてきたのかな。あんまりそういうふうには考えたことがないけど、でもきっと自分の作る音楽や即興演奏の中に、それは意図せずとも出てしまっているんだと思います。
ライブもコンサートツアーも全てなくなった2020年の秋、わたしは自分の部屋に籠ってずっと録音をしていました。いつも使っているギターやターンテーブルといった楽器だけではなく、紙や木、炭や石、発泡スチロール、金属、いろいろなものを鳴らしてはマイクロフォンをレンズのように使って録音し、それを重ねていったりしながら。どの音もコソコソ声で話すように小さな音で。
作業をするのは決まって日が沈んでから日が昇るまでの時間。音楽家にとってパンデミックはきつい日々ではあったけど、でもこの深夜の静かな時間は本当に幸せな時間でした。
子どもの頃から夜更かしが好きでした。夜中にこっそりイヤホンでラジオを聞き出したのが小学校も終わる頃かな。高校になると友達と夜中まで遊んだり、夜遅くまでジャズ喫茶に入り浸ったり。家に戻ったあとも夜が明け出すまで部屋に籠ってずっと音楽を聴いてました。朝はもちろん起きれなくて、学校にもあまり行かなくなって。
そんな大好きな深夜の時間の中でも、今思い出しても胸が締め付けられるくらい好きだったのが雪の音です。
風のない深夜、雪が積もると、ただでさえ静かな街のざわめきのような音が消えて、ありえないくらい静かになるんです。部屋の中にいても「あ、雪が積もってるな」ってことが音だけでわかるくらいの静けさで、そんな時は音楽を聴かずにただただ静かに耳を澄ましていました。なんの目的もなく。
昨年は2度入院しました。
あまり人のいない病棟で深夜はとても静かでした。入院中はとうとう1曲も音楽を聴くことはありませんでした。なんでかな。遠くから聞こえる高速道路の音を聞きながら、窓の外に見える遠くのビルやネオンを眺めているだけでいいなと思っていました。
同世代や少し先輩だった人たちが少しずついなくなっていくと流石に寿命のことを考えてしまいます。それでも、まだどこかで死は他人事であり続けています。
2020年の深夜に録音した音を送りますね。
大友
本コラムの全編は、公演パンフレットにて
ご覧いただけます。
是非劇場にお越しください。


コラム編集:山梨幸輝
写真:公文健太郎、金子愛帆
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